保存運動の経緯 » ページ詳細

館山市富崎地区で日本を代表する《海の幸》が描かれ、実際に青木繁が滞在した小谷家住宅が現存するということは大きな誇りであるが、行政施策や地域活動のなかで、それらのことが利活用されることはあまりなかった。かつて漁業の栄華をきわめた同地区は、今や過疎と少子高齢化がすすみ、独居老人や老々介護などの高齢者問題や、小学校の統廃合問題など深刻な課題が山積しており、地域コミュニティとしての機能の維持が困難な状況になっている。

ところで半世紀前、館山市長ら先人たちが東奔西走して建立した《海の幸》記念碑は、併設されていた館山ユースホステルの閉鎖にともなう建物解体に連動して、行政当局によって撤去されようとした。これに対して地元住民らの保存運動によりからくも撤去は免れ、当該国有地は館山市が借地料を払うことで記念碑は保持されてきた。

その後、NPOフォーラムを中心に小谷氏個人住宅が「青木繁」に関わる貴重な文化財として保存・活用されることが地域にとっても重要であると深く憂慮してきた人びとが動き出した。富崎地区コミュニティ委員会会長である小谷氏個人を含めて、保存を憂慮していた関係住民らを含めて、NPOフォーラムをしても丁寧な話し合いや地域振興事業などを重ねながら、地域課題を解決していく契機になるかを模索してきた。

その間、観光関係の行政機関や団体の呼びかけにより、青木繁《海の幸》ゆかりの地をめぐる「花海ウォーキング」「JR大人の休日」「エコウォーク」といった旅行企画が実現。NPOフォーラムのメンバーが地区住民とともにホスピタリティあふれるガイド活動を実践したところ、来訪者は漁村の風景と文化的歴史的な背景に対して大きな感動と興味関心を示し、関係者にとっても誇りと自信につながる好感触を得る機会をなった。

この経過のなかで、小谷氏やご家族の英断があって、館山市教育委員会に住宅の指定文化財申請書を提出することとなった。将来構想のなかには「《海の幸》記念館」(仮称)のような施設を開設ことに場合、小谷家の生活スペースを別に設けなくてはならないだけでななく、文化財としての維持保全に関していくためには永続的な資金方策が求められていくであろう。さらには「《海の幸》誕生の家」の見学者が増えていけば、小谷家にとっての負担が大きくなることであり、地域活性化をすすめていくことになれば地区コミュニティが一丸となって支えていくことが重要になっていく。

さまざまに起こりえる問題や課題を想定しながら、小谷家や地区住民の意向を踏まえる対話を重ね、地域コミュニティでの豊かな協働関係のあり方を模索していった。その結果、同地区コミュニティ委員会の役員が運営委員となって、昨秋、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」を設立するに至ったのである。

呼びかけ人には、《海の幸》に造詣の深い文化財・美術関係者、美大関係者などが名を連ね、広く賛同者から基金を募るシステムとしてホームページを開設。管理運営の事務局についてはNPOフォーラムが受託することとなった。これからも地域の文化遺産に磨きをかけ、そこに暮らす人びとに誇りや感動を生み出していくことを積み重ねながら、来訪者との交流文化を育み、住民自らが地域課題を解決していくまちづくりをすすめていきたいと思っている。

なお、記念碑が建っている借地問題については、館山市が国から買い取るという方針を表明したものの、今なお進んでいない。住宅と記念碑の保存・活用に関して、市指定文化財の審議結果も踏まえながら、商工観光課などの行政機関や文化財保存に関わっては生涯学習課など市教委との間で、引き続き保存・活用のあり方などの協働関係をつくって話し合っていきたいと思っている。そして館山市立富崎小学校での「3つの『あ』の学習(青木繁、安房節、アジのひらき)」の取り組みに対しても、地域学習として素晴らしい実践活動として見るだけでなく、地域づくりの視点からもコミュニティ再生の糸口になっていく取り組みにしていきたい。

09年2月8日 awabunka 35,932
特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム
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