青木繁について » ページ詳細

1885(明治19)年1月、栃木県芳賀郡水橋村で呉服屋の次女として生まれる。18歳で絵を学ぶために上京、不同舎に入門し、青木繁と出会う。

1904(明治37)年、青木繁らと館山の写生旅行に同行、懐妊。

1905(明治38)年、青木と館山に再来訪。伊戸の円光寺に投宿。同年、青木と入籍しないまま、茨城県川嶋で長男(幸彦・後の蘭童)を出産。戸籍上は、たねの父の子(たねの末弟)として届けられた。

1907(明治40)年、青木とたねは福田家の縁戚に滞在(青木は『わだつみのいろこの宮』制作)。同年、青木と離別。

1910(明治43)年、別の男性と結婚。多くの子どもに恵まれる。

1962(昭和37)年、館山市布良に青木繁《海の幸》記念碑建立。蘭童とともに除幕式に参列。

1968(昭和43)年、83歳で没。

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青木は、多くの作品のモデルとして福田たねを描いている。

《海の幸》で一人こちらを向く白い顔は、作品制作から2年後、たねをモデルに描き直したといわれる。


写真は、晩年のたねと蘭童(栃木県芳賀町総合情報館所蔵)

09年2月8日 awabunka 129,543
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