小谷家住宅と記念碑 » ページ詳細
■青木繁「海の幸」記念碑 設計 生田 勉
昨年の夏私はローマを訪れた。そしてローマの廃墟をあちこち見てじつに楽しかった。それを見ながらよく立原道造の詩「石柱の歌」が口をついて出た。…私は石の柱…崩れた家の 台座を踏んで/自らの重みを ささへるきりの/私は一本の石の柱だ…乾いた…/風とも 鳥とも 花とも かかはりなく/私は 立っている/自らのかげが地に/投げる時間に見入りながら…と。しかしローマの廃墟は道造のローマン派風の悲しげな詩とは反対に、もっと華やかに陽気に笑いさざめいていた。それは陽気な女たちのようであった。 ローマから帰ってすぐ「海の幸」の画面の群像の前にしばしば佇んだ。そこからは海の幸をことほぐ大らかな歌声がきこえた。私の頭のなかでその歌声にローマの笑いさざめきが二重うつしになってくるのを感じた。
こうしてこの記念碑は私の単なる「ローマの思い出」かもしれない。しかしひとはこの布良海岸の小高い丘から遠く太平洋を仰ぎみるとき、アーチのように両手を眉の上にかざして母なる海に感じいることであろう。またアーチが円弧ではなく角ばっているのは、神式の幣帛を紙ではなしに石であらわしたつもりであった。こうして「海の幸」記念碑はいろいろの夾雑物を含んで生まれたものであるが、文化の種子はすべてそうしたものである。
「新建築」より
08年9月26日 awabunka 15,585